敷地と道路との関係は建築計画を進めていく上で最も基本的なことである。とくに現在置かれている土地事情の中では、敷地に対する道路の位置や幅員あるいは高低差などによって建物の形や配置、ときには大きさにまで影響を与える。
この二つの関係は現地をみて判断出来るものもあるが、それだけで良いというわけにはいかない。ふだん通行されている道でも、都市計画区域内では建築基準法でいう道路として認められないものもある。また、逆に立派な敷地に中に実は建築基準法では道路として扱われている都市計画道路などが通ってたりするからだ。
幹線道路に面して住んでいた東京のAさんが排ガスと騒音をの逃れたくて多少の不便は忍んでもと、閑静な郊外既成市街地に宅地を求めた。静かなたたずまいを理想としていたので、道路から多少奥まっていても、子どもが玄関から道路に直接飛び出す危険性ないし、玄関までのアプローチも長くとれた方が住宅らしい落ち着いた計画が出来るものと考えた。
近隣の地価よりも安く買えたこともあって、希望した面積の土地が得られ、理想的な住まいづくりに胸をふくらませたのであるが、いざ家を建てようとしたところ、問題がでできた。
路地状部分の長さが幅員対して長すぎたため、建築安全条令に抵触し幅員を広げなければ確認が取れないことがわかった。隣地の地主と何回かの交渉の末、やっと譲ってもらったが、この部分はかなり高価な価格になった。敷地をせっかく安く購入出来たと喜んでいたのも、結局は逆に高い買い物になってしまった。
Aさんの場合は、敷地の形態状の問題であるが、一般に道路に面する敷地であれば家が建つものと思い込んでいることが多い。建物の敷地は建築基準法42条に規定される道路に2m以上接していなければならない。この道路とは。国道や地町村道などの幅員4m以上の道路だが、4m以上の道路でも位置指定を受けていない私道に面する敷地には建物は建てることが出来ない。
しかし、4m未満の道でも、原則として昭和25年11月23日以前に建物が立ち並んでいる1.8m以上の道はその中心から2mの位置が道路境界線となるよう敷地を後退させることにより、建築基準法の道路として認められる。
いずれにしても家を建築するという過程のなかで、良い家や庭づくりと同時に、お互いのルールを守って狭い道路には必要な土地を出し合って豊かな住環境整備を心がけることが大切だろう。環境はだれかがつくってくれるものではなく、そこに住む人たちがつくっていくものだから。
(大河原 淳一郎 s53.7.2マイホーム設計より)
我が国の居間は家族が団らんし、テレビを見たりラジオを聞いたり、また、子供たちが遊ぶファミリールーム的性格をもった居間だと思う。しかし日本の住宅も、やがて2つの居間を持つ時代が予想される。そして公的生活の場であるリビングルームでは静かに音楽を聞き、ある時は話に花を咲かせ、またある時は大事なお客さんを招待してもてなすこともあるだろう。住宅は生活の容器であり、その使われ方で家族の生活や健康にも影響を与えると思われる。居間2室時代には一般的使われ方をするばかりでなく、各々の家族が個性的な生活空間となるようさまざまな使い方を考えたい。
日本には茶道、華道、書道あるは武道といった道がある。どれも精神的な面で、また技術的な面でも奥行きが深く、日本の持つすばらしい文化であると思う。それぞれの道は個人でも修行できるが、趣味の友達として共に学ぶことも楽しい。そこには共通の目標や話題もあり、長く続く友情も培い合えると思う。
また、家族の健康を守るヘルシールームとしての性格も合わせもつ部屋を考えたらいかがだろう。最近の子供達は、生活は向上したが体力は衰えたという。転んで手をついたら手首が折れてしまったり、階段につまずいて足を骨折したり、子供達が遊びまわる休日は接骨院が満員だという。私も子育ての経験から、日々の運動が驚くほど人間を健康にすることを学んだ。病気は病原菌に対する抵抗力が弱まった時にかかりやすい。血液が滞ったり、炎症を起こすと体力がなくなり疲れやすくなる。朝夕10分程度のヨガや柔軟体操が新陳代謝を活発にし、血液の循環を良くする。とくに武道は運動に加えて精神的な面でも雑念から転換でき、毎日続けることで精神的にも技術的にも進歩があり楽しみである。
せっかく家を購入したが、子供たちが居間のテレビを占領し主人は新聞を持ってうろうろしたり、嫁入り前に習った茶道や華道が無駄になったりすることなく、生活にいかされるためのも、この第二の居間が主人や主婦、そして子供達の居場所として、健康室であり、教室であり、修行の場であり、またある時は楽しい近隣の人達や友人とのコミュニケーションの場となるリビングルームを提案したい。
ゆとりある日本の住まいが、応接間と居間の時代から、生活に潤いを与える個性的なリビングルーム、ファミリールームとしての居間2室時代もそう遠くはあるまい。
(大河原淳一郎 男のいる場所女のいる場所より s59.4.12)
京都の町屋に発達した坪庭も、現代の狭隘な敷地に建築する住宅にとって、参考となることが多いようです。
まま見られる例ですが、浴室の外部の一定区画を庭として、入浴しながら自然を鑑賞してくつろぐといった庭や。隣地との境界のわずかに残さた部分を塀や生け垣で単に牆壁とするのではなく、積極的に庭として造成したり、また建築のアプローチを庭にして、人の出入りはこの庭を必ず通るように考えた庭など、ごく限られたスペースを庭として利用する方法はいくらでもあります。
また、これは厳密な意味から庭とは言えないかもしれませんが、建物の中や屋上、バルコニー、ベランダなどに、庭の形を残しながら観賞空間を作るといった手法も最近は特に多くなってきました。敷地の狭隘から、木造の一戸建ての住宅が少なくなり、鉄筋コンクリート造のマンションや、和洋折衷の建築様式がどんどん取り入れられ、加えて、金属やガラス、樹脂製品などの新材料の出現によって、庭そのものの考え方も大きく変わってきたと思われます。
もともと、庭は屋外の、外部の覆われない空間で、その構成要素は自然物が主体であるとした概念に当てはまらないインドアガーデンや、化学製品や加工品を素材とした装飾空間は、庭というよりデザインの一種かもしれません。
しかし、庭の目的が建物を利用する人間の生活環境を快適にして再生産の場を提供するにふさわしい空間であると考えた場合、この装飾空間も庭の変形として提えることができるかと思います。
そこで、坪庭と少し趣を異にしたスペースかもしれませんが、インドアガーデンや人工土地について触れてみましょう。
廊下などのちょっとしたスペースに樹木や石を配し、彫像などの添景物を置くと、小さいながら坪庭の雰囲気そこに演出することができます。
住まいに観賞的な演出する最もドラマチックな手法は吹き抜けを設けることで階下と階上のスペースに連帯感、一体感が生み出され、のびやかな広がりを感じさます。吹き抜け空間として望ましい場所はスペースの広い居間や、他に玄関ホール、食堂、そして階段回りでしょう。
こうした吹き抜け空間に坪庭の思想を反映させた観賞的空間を設定すれば、その演出はさらに高められると思います。
(大河原淳一郎 坪庭の効用より h2.10)